自分という花を育てるところ

自分に集中して生きてこ。30歳からの自分と世界の見つめ方

ブランド品について

 

久しぶりのブログになりました🥨☕️

しばらくスペイン語の勉強に集中していて、語学漬けな毎日…脳内はスペイン語のことばかりで。だいぶ疲弊しました…

でも新しいことにチャレンジするのは良いことですね。一つのことに集中するって贅沢なことだなと思いました🥨

 

日々考えている事は色々あるけれど…久しぶりに何を書こうかな…(思考停止モード)💭

 

リハビリ的に、少し前に感じた事を書かせてください🌿

 

先日SNSを眺めていて、自分のブランド物に対する価値観が若い頃に比べて変わったな…と気づいた瞬間があって。

昔は稼いだら少し貯めた額やボーナス時にブランド品を購入できたので「◯◯歳になったら、次はあのブランドの鞄を買って…次は財布!」と考えてはワクワクしていました。

 

しかし今は自分の稼ぎを手にする事もできなくなり、ましてやブランド品を買うには気軽に「次はアレを買おう!」という気にもならず、夫に「買ってあげようか?」と言われる始末。

過去の自分が今の私を見れば、「自分の稼ぎも無く、なんだか考え方も地味で惨めになってしまって…」と心のどこかで思いそうな気がします。

 

でもね🥨

なぜだか、今の方がとっても満たされていて。ブランド品に対して物欲もありません。「ブランド品が手元にあればそれも良いし、例え1つも無くてもそれはそれで良い」とハッキリ思えるのです。

 

あの頃はどうしてあんなに物に固執していたのだろう…。

きっと心から満たされていなかったのでしょうね。ブランド品を自分より上に感じ、それを身につける事で自分を高めた様な気になっていたのかな。

“◯◯を身につける私”は好きになれて、それを身につけていない私を受け入れられなかったのかな。

 

むしろ今では、物より経験にお金や時間を使ったり、身近な大切な人のためにささやかなプレゼントや心地良いひと時を過ごすが何百倍も豊かで、自分を満たしてくれています。

 

もしブランド品を身につけるなら、ワードローブや自分の雰囲気に馴染むものが良い。

もしくは高価な物を何も身につけなくても、佇まいや言葉で自分の魅力が自然と滲み出る様な過ごし方をしたいな。と思いました🌿こちらの方が難易度は段違いに高いですけれどね…

でも年を重ねれば重ねるほど、物と持ち主がチグハグだと一気に違和感が強くなるでしょう?ブランド品は諸刃の剣。世界観に時間とお金を注いで生まれた物だからこそ、理解なく所有してしまうと一気に陳腐に見えたり、自分自身の品を落としたりする場合もありますよね。

 

なので、今はもうブランド品の広告を見ても心惹かれません。。もちろん今も憧れはあるし、名品はデザイン性の素晴らしさや無駄の無さにうっとりもします。でも、それくらいかな。

本当に自分にしっくりくる物は、いくら高価でも買える時には無理なく買えて無理なく譲れたり処分できるするものだと思います。そして「私の手元にあった」という事実だけで、「あの時アレを身につけていたな」と思い出しては楽しめるはず。素敵な思い出を伴わない物の価値は大した事のない、という捉え方になりました。

 

自分の生活範囲を整えて、人や物や空間と丁寧に向き合って毎日楽しく過ごす。それを繰り返していくと、いつの間にか最重要・大好きなものにのみ囲まれて満足するのですね🥨(過去に無駄な経験を重ねたから今はそう思える、とも言えますけれど)

 

という感じで、ブランド品について感じていることを書いてみました。この考え方は物だけではなく人や仕事に対しても言えそうですね。でも今回はここまでにしておきます🌿久々なので文章がこんがらがってしまいそう…

 

読んでくださってありがとうございます。また読みにきてくださると嬉しいです。

ではでは🥨☕️

 

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グァナファトに旅行した時。壁の色遣いが素敵🚪