自分という花を育てるところ

自分に集中して生きてこ。30歳からの自分と世界の見つめ方

多面体であることと許しについて

 

新年明けましておめでとうございます。本年もマイペースに考察ブログを続けていきます。どうぞよろしくお願いします🦜

 

年末は弾丸の日本への一時帰国をしていました。

Twitterでも書いたのですが

機内でQUEENのフレディー・マーキュリーを主人公にした映画『ボヘミアン・ラプソディ』を初めて観たんですね。

5年前の映画ですし、ストーリーは実際と違う部分もあるそうですが、この映画がとても良くて。

人を熱狂させる人やグループの道のりからは、伝わるものがありました🦜🦜

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私の家族の話になりますが、母はQUEENやU 2、TOTOなどのロックバンドを昔から愛していて。でも性格は几帳面で慎重で美意識が高くて。ロックとは程遠く感じる性格。

一方、父はフォークソングが大好きで。よく車内では暗く男臭い80年代のフォークソングが流れていました。しかし性格は陽気で自由気ままで人たらし、運動やバイクが好きな友人の多い人。なぜ暗い曲を好むのか、不思議でした。


そんな二人の間で、私は全くジャンル違いの曲を聴いて育ちました。ロックの力強さとエネルギーは耳馴染みがよかったし、フォークソングの歌詞やメロディーに切なさやもどかしい気持ちへの理解を育てられた気がします。(でも朝だけはクラシックがかかっていた。変な家庭)

そんな風に性質の違う人間と音楽に育てられたのですが、どちらの世界のリズムも良くて、どちらの性質の人間も人間らしくて自然。

暗さも明るさも含めて人間なんだ、徐々に気づきました。私だって、根暗だけど明るさもあるし。(そう。根暗なのですよ私…あ、知ってました?笑)

 

所詮そんなもの。人は多面性をもつ生き物ですよね。(主語は大きくなりますがそう思いません?)自分の中に陰も陽もあれば、善も悪もある。

 

時々MBTIと言う性格診断を見かけますが、ここに書かれる人の性質、そんなものは誰の中にも全て内包していると思います。16種類?全部あるし状況次第では出せる。

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性質なんて濃淡のグラデーションの違いだし、身を置かれた環境と体験から影響を受け変化します。人間、置かれた環境でどうにか生き延びようと工夫する生命力があります。表面的に理解するには面白いツールかも知れませんが、それをさも人の性格であるかのように話すタイプの人は、人間舐めてるわ〜と思いますし、他者理解と観察力が浅いです(なんだか今日は口が悪いようです。ごめんなさい)。日常の中で、出しやすい性質を出して生きているのですよ。見せる性質の上手下手があるだけ。

性格診断に固執し他人を拒否したり評価することはもっとアホらしく、モノの見方を狭める勿体無い行為です。あれは単なる遊びです🦜

 

まぁ、豊臣秀吉が出世のために祀っていた三面大黒天が存在するように、仏でさえ三面の顔を持つほどです。人間だって複数の顔をもつのは自然なこと。

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(頭部が重そう…強靭な首の筋肉)(まぁ神様だから…ゴニョゴニョ)

そして、他人と自分の中に複数の顔があることを許すこと。誰かが、他人に見せる顔と自分に見せるそれが異なるからと言って感情的になる必要はないのです。

この点は理解する価値のある修行だと思います。なかなか難しいです。私も時々忘れちゃう笑🦜

自分がどの様な面を持ち、さらには他人のどの面を引き出す言動をしているのか。他人が自分に見せる面はそれが心地いいか、利益があるか、必要があるから。それだけです。

 

それでもって更に言えば、人生も多面的です。山もあれば谷もある。泥の中にいて一刻も抜け出したい様な時もあれば、温かい温泉に浸かって心地よい様な時もある。

そして、それらは人それぞれ迎えるタイミングが違います。泥の中が長い人もいれば、温泉の中に長く浸かる人もいて。そして泥の中の不自由さを知っているからこそ、温泉の素晴らしさに気づけたりするわけで。

だから自分の人生の最低も最高も、味わい何かに気づけて改善に努めれば、それで満点だと思うんです。山も谷もあっていいし、その中でしか得られないものがある。

だから、誰かの持ち物や誰かの人生との比較の中では自分の価値を見つけなくていいです。例えMBTIの診断や新年の占い、他人の評価でどんな反応を得たとしても「だから何?」「それで自分は何をする?」「起きた事から何を学ぶ?」でしかないのです。

 

オンラインでもオフラインでも、誰かによい称号を付けられることに価値は無い。他人の評価は勝手にその人やその時の社会の雰囲気で付けられるもの。そして、勝手に変えられるもの。人は多面的です。そして、自分自身も多面的です。


広く雑に言えば綺麗な世界はないし、でも汚いだけじゃない。人生もずっと良い道ばかりじゃないし、でもずっと下り坂ばかりじゃない。


そう思えば、誰かに嫌われても「まぁそうだよね」と諦められるし、誰かが自分の好きなものを嫌いでも「まぁそんなものか」と笑って流せる。

今日が思い通りにいかなくても、まぁほどほどでOKだし、自分自身が期待通りの結果を出さずとも、まぁ次に活かそうと切り替えればいいのです。

だから、誰かが自分を好きでいてくれるなら有難いことで。誰かと自分の好きなものが同じなら奇跡で。今日を上手く乗りこなせたら自分には花丸をあげてよくて、期待通りの結果を得た時には腐らずに生きててよかったと思える。

それくらいの姿勢でおおらかに構えていればいい。むしろ、そうでなくては危ういのかもしれないです。


そんな風に多面体の人や社会や人生を少し離れて見るようにすると、自分も他人も1日も人生も穏やかな気持ちで見られる様な気がします。そしてなかなか人生悪くない気がしてくる。


「あの時は良かった」「あの時は悪かった」、「あの人はいい人」「あの人は最悪」と点で受け止めるのではなく。良いと悪いのグラデーションを「面」で見る。そうすれば、自分や他人、そして色んな人生や性質も柔らかく受け止められる気がしてくる。「あの時があったから」「あの人のお陰で」とマイナスもプラスも自分に活かすエネルギーに変えられるのです。難しい人付き合いも、次第に上手く交わせるようになってくる。


多面的なモノの見方は許すことで、物や人の受け止め方は瞬発的ではなく少し間をもって受け止める。時には怒りを持つこともあるけれど、それは本当に闘わなくてはいけない時に発揮すればいい。普段から力まなくていいのです。

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心の中に住まわせたい、強くしなやかな力士

 

年始から日本は色々と災難が起こり、離れた国にいても心が不安定になりそうになります。なぜこの短期間に日本は災難に…とやるせなさや悲観的になり内に籠りたくなります。

でも、日本人と日本の歴史を辿れば、これまで幾度も災難や事件事故から学び、何度も体勢を立て直してきた。今を点で見るだけでは挫けそうになるけれど、今こそ腹を据えて構え先を見据え、直せることを直し学ぶことは学び、今被災し困っている方々と後世の若い人達が現状より生きやすくなるよう努めるだけです。

自然や事故やマスコミを攻め嘆いても、自分だけ助かる様な宗教めいた優しい発言にハマっても、時間とエネルギーの無駄。出来ることを粛々としながら、自分の知見を深めて前に進みたいですね。ご自身やご家族、地域の災害対策もしつつ、あまり力まずに過ごしましょう🦜

 

 

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年末に訪ねた神社でおみくじを引いたら「楽しみなさい!」とおたふくのお守り入りの物を引きました。根暗人間は変に真面目なので楽しむことが苦手でして。このおみくじを指針に今年1年を過ごそうと思います。

今年もよろしくお願いします。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました🦜🦜